雅子さまのドレス「あの時のものだ」着回しに込められた思いとは 歴史文化学研究者が解説〈dot.〉

雅子さまのドレス「あの時のものだ」着回しに込められた思いとは 歴史文化学研究者が解説〈dot.〉

2/4(土) 10:00配信
AERA dot.

「歌会始の儀」の天皇皇后両陛下

 1月18日に皇居・宮殿「松の間」で行われた新年恒例行事「歌会始の儀」での皇后陛下・雅子さまのドレスは、皇太子妃時代にトンガ王国の戴冠式に参列したときにお召しになったものだった。こうした雅子さまの着回しやそこにある思いについて、歴史文化学研究者の青木淳子氏に話を聞いた。

*  *  *

(中略)
「歌会始の儀」のドレスは2015年にお召しになったものだったが、何度も着用されると、今回のように「あの時のお召しのものだ」と気が付かれてしまうことも当然多いかと思うが、

 着回しのルーティンみたいなものはあるのだろうか? 青木氏は「雅子さまが着回しをされる際に、国民に気づかれるか、そうでないか?とは、気にされていないと思います」といい、こう解説する。

「むしろ、着回しされる時には、『その場にふさわしい着こなし』に留意されるのではないでしょうか。例えば、講書始めの儀で着用された水色のドレスは、2008年新年一般参賀で参列された時に着用されていました。その時、雅子さまは皇太子妃でした。雅子さまは、淡いブルーのシンプルなデザインのドレスが清楚でありながら、三連のパールのチョーカーを合わせて、皇太子妃らしい華やかな装いとなっていました。ところが、今回、講書始めの儀では学問と関連した場ですから、アクセサリーは控えめでした。前ボタンだけのデザインに、一連のパールのネックレスは知的な印象でしたね」(青木氏)

(中略)
 着回しという言葉のはるか上をいく、こうも同じドレスが輝いて見える着こなしへの工夫だったとは――。アクセサリーなどの装飾品のあしらい以上に、雅子さまのたたずまいや存在そのものが何度同じドレスを着ても素敵に映すのだろう。(AERAdot.編集部・太田裕子)

青木淳子/東京大学学際情報学博士。歴史文化学研究者。学習院女子大学、フェリス女学院大学、実践女子大学で非常勤講師。日本フォーマル協会特別講師。著書に『近代皇族妃のファッション』(中央公論新社)、『パリの皇族モダニズム』(KADOKAWA)



ヤフコメに「日本の経済力は落ち、国民は賃金が全く上がらない状態で物価高にあえいでいる。皇族だからといって新調ばかりしていないで、着回しすべきだ」という意見がいくつか書き込まれたら、早速マサコが着回しの記事が登場(苦笑)。

私なんかは、祭祀はせず、公務は最低限のマサコの衣装がどうしたって?としか思わない。仕事しないんだから、仕事着も必要ないでしょうに。

上皇夫妻は引っ越す度に十億円の改修費を掛けて新築同様にしたし、A宮家は予算超過で44億だか65億円だか掛けている。1着1千万円だとしても、衣装代の節約は誤差の範囲にしかならない。

広報課に無駄な予算を付けて脚色しなくて結構ですから、このまま国民から嫌われて日本政治と完全に縁切りし、表舞台から消え去って下さい。皇族と日本政治を完全に切り離すことが一番急ぎの課題で、一番重要。もう後継者がいないんです。

この記事へのコメント