紀子さま「遠く離れた場所に暮らす娘のことが心のどこかに感じられます」…宮内記者会への回答全文 誕生日会見 秋篠宮 悠仁 佳子 眞子
紀子さま「遠く離れた場所に暮らす娘のことが心のどこかに感じられます」…宮内記者会への回答全文
9/11(水) 0:00配信
読売新聞オンライン
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a83e8778178925390d81695bb1a3a85eabf339d
秋篠宮妃紀子さまは58歳の誕生日を前に、宮内記者会の質問に文書で回答された。全文は以下の通り。
問1 悠仁さまは成年を迎えられました。母としての感想や、皇位継承順位2位の成年皇族として期待していることをお聞かせください。現在高校3年生ですが、今後の進路をどう考え、サポートされていますか。最近のご様子と合わせてお教えください。
紀子さま
<母としての感想>
長男の悠仁が誕生してから18年という年月が経(た)ったことを感慨深く思っております。
長男が誕生したとき、お印(身の回りの品につける徽章(きしょう))にちなんで親しい人たちからお祝いに贈られた高野槇(こうやまき)が、ずいぶんと大きく成長しました。その近くには池があり、周辺には水草が繁(しげ)り、鳥のさえずりや虫の鳴く声が聞こえます。
小さかった頃、クヌギやコナラの林でカブトムシを探し、その幼虫を育て、烏山椒(からすざんしょう)の葉につくアゲハチョウの幼虫を見つけては観察していました。また、賑(にぎ)やかに鳴くセミ、飛び跳ねるバッタを追いかけるなど、さまざまな虫に関心を持つようになりました。
いつしか、自分の指よりも大きいトンボを手にとり、間近で複眼、翅(はね)や肢(あし)の特徴や、放したトンボの飛び方を観察して「これはなんだろう」「なぜだろう」「どうしてだろう」と昆虫の図鑑で調べるようになりました。
長男が幼稚園や小学校低学年のとき、水分補給係とトンボ見つけ隊の一人として、リュックサックを背負って一緒に野山の水辺のある場所へよく出かけた夏の日を懐かしく思い出します。
そうするうちに、山や川に出かけ、多様な自然環境に棲(す)むトンボの羽化から産卵行動までの生活史を観察・記録するようになりました。あるとき、ヤゴの夜間の行動を、ビデオカメラで記録しようとしていましたが、ヤゴが移動したために思い通りに映像を撮ることができず、試行錯誤を繰り返しながら根気強く記録を続けて、ついに撮影ができたことも心に残っています。
長男が中学校1年生の3学期頃からはCOVID―19の感染が広がり、その影響で、しばらくは離れた場所でのトンボの調査がしにくくなりました。その一方で、赤坂御用地内の池の周辺を歩き、じっくりと観察し、調査に時間をかけることができました。トンボ類の生息環境について専門家にも意見を聴くことが増え、また赤坂御用地内の希少な植物に目を向けるようになりました。
思い返すと、長男は幼少のころから、虫探しや木登り、木の実・木の葉拾い、野菜作りなど、一年を通して屋外で過ごすことがよくありました。小学生になると、ものを作ることへの興味も増し、色紙で立体的な生き物や花を折ったり、大きくコピーした御用地内の地図の上に拾った木の実を置いて、種類と場所がわかる「どんぐりマップ(どんぐりさがし)」を作ったりしました。
さらに、LEDでなく電球の古いタイプの信号機を実際に見に行って模型を作り、昔の道具について図鑑で調べて粘土などで小さな道具を作るなど、工作に夢中になっていた時期もありました。宮内庁職員組合の文化祭に出した作品「昔の暮らし」は、家族5人で古民家の家屋と、畳や襖(ふすま)、囲炉裏などの内装、鍋釜や桶(おけ)などの道具類、庭の井戸や畑の作物、鶏小屋まで、それぞれが担当して協力して取り組んだ模型です。我が家の宝物のひとつとなっています。
暮らしの中で出会ったことや昆虫などを観察していたときの「あっ!」と思う気持ちから始まり、それが探究や創造へとつながっていく体験のひとコマひとコマが、いまの本人の成長へとつながり、支えているのだとつくづく感じています。
宮邸の水田の稲穂が色づいてきました。空を飛ぶ秋津(あきつ)(トンボの古名)を見かけることが多いこの時期に、今まで長男の成長を見守ってきてくださった方々に感謝の気持ちを抱きつつ、改めて私たち家族が長男とすごした時間にしみじみと思いをいたしております。
<最近の様子>
(中略)
京都では今年、「第27回国際昆虫学会議」が開催されました。私たちはその開会式に出席するために訪れましたが、長男はこの会議の組織委員会からの招待で行きました。
限られた時間ではありましたが、会議のテーマである“Consilience”(知の統合)にちなんで、複数の分野(保全学、進化形態学、民族昆虫学など)の人たちから昆虫食やトンボの研究などの話を聞く機会をもつことができました。また、並行して開催されていた昆虫の絵画展や写真展も観賞しました。そこでの出会いや交流から、さらに視野を広げていくことを期待しております。
<今後の進路をどう考え、サポートしたいか>
高校では、生徒たちが進路についての説明や、卒業生による進路・大学紹介を聞き、クラスで先生や友人と話す機会がありました。学年が上がる中で、自らの将来について考えを巡らせてきたようです。長男が好きなこと、学びたいことに取り組み、自分の興味を大事に持ち続けてほしいと願っています。学ぶ場所は、長男自身がしっかり考え、決めたことを尊重したいと思っております。
進路を自ら決めていく過程で迷い、悩むこともあるかと思います。必要なときに、これまで培ってきた力を発揮できるように、エールを送りたいと思います。
(後略)
内容のバランス的に、ユージン君のことを書きすぎでしょう。
ユージン君の新たなトンボ伝説を、母がしゃしゃり出てきて詳しく説明し始めた(爆)。
そういうのはAera永井さんか元木さんか江森さんの担当だと思っていました。
国際昆虫学会でユージン君がポスター発表したという重要な設定事項に触れずに通り過ぎた。「先生が先生の研究を発表をした」が事実であり、誰の目で見ても「ユージン君は発表しなかった」ことがバレちゃいましたからね。
「発表した」という動詞の主語は「先生」なのか「ユージン君」なのか、そもそも発表された研究は「先生の研究」なのか「ユージン君の研究」なのかで、意味が全然違ってくる。
科学する子供たちを応援するイベントにて、「先生の研究を先生が発表した」ことが、ユージン君の東大入学選考資料に流用されたとなったら、東大は清先生を採点したことになる。これは代理受験という不正行為と同じで、大変ですよ。剽窃騒ぎどころではなくなる。
「学ぶ場所は、長男自身がしっかり考え、決めたことを尊重したい」ということで、東大を選んだのは秋篠宮でも紀子妃でもなく本人だと、さりげなく釈明。
長期間引っ掻き回してユージン君と国民の間に摩擦の種をばらまいた挙げ句、面倒な責任を全て本人に押しつけ、キコは逃げた。どうせ親は先に死ぬのだし、知らんわとか思っているのか。テレビカメラの前で脚をパーンと叩かれたし(笑)。
全体的にマコケイ騒動のときと同じで、相変わらず独自路線をひたすら邁進する決意が表明されていた。
長文だったけど、夫への言及がありませんでした。気になるー(笑)。
東大入学発表の「発表の仕方」と「世論の反応」が楽しみです。
9/11(水) 0:00配信
読売新聞オンライン
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a83e8778178925390d81695bb1a3a85eabf339d
秋篠宮妃紀子さまは58歳の誕生日を前に、宮内記者会の質問に文書で回答された。全文は以下の通り。
問1 悠仁さまは成年を迎えられました。母としての感想や、皇位継承順位2位の成年皇族として期待していることをお聞かせください。現在高校3年生ですが、今後の進路をどう考え、サポートされていますか。最近のご様子と合わせてお教えください。
紀子さま
<母としての感想>
長男の悠仁が誕生してから18年という年月が経(た)ったことを感慨深く思っております。
長男が誕生したとき、お印(身の回りの品につける徽章(きしょう))にちなんで親しい人たちからお祝いに贈られた高野槇(こうやまき)が、ずいぶんと大きく成長しました。その近くには池があり、周辺には水草が繁(しげ)り、鳥のさえずりや虫の鳴く声が聞こえます。
小さかった頃、クヌギやコナラの林でカブトムシを探し、その幼虫を育て、烏山椒(からすざんしょう)の葉につくアゲハチョウの幼虫を見つけては観察していました。また、賑(にぎ)やかに鳴くセミ、飛び跳ねるバッタを追いかけるなど、さまざまな虫に関心を持つようになりました。
いつしか、自分の指よりも大きいトンボを手にとり、間近で複眼、翅(はね)や肢(あし)の特徴や、放したトンボの飛び方を観察して「これはなんだろう」「なぜだろう」「どうしてだろう」と昆虫の図鑑で調べるようになりました。
長男が幼稚園や小学校低学年のとき、水分補給係とトンボ見つけ隊の一人として、リュックサックを背負って一緒に野山の水辺のある場所へよく出かけた夏の日を懐かしく思い出します。
そうするうちに、山や川に出かけ、多様な自然環境に棲(す)むトンボの羽化から産卵行動までの生活史を観察・記録するようになりました。あるとき、ヤゴの夜間の行動を、ビデオカメラで記録しようとしていましたが、ヤゴが移動したために思い通りに映像を撮ることができず、試行錯誤を繰り返しながら根気強く記録を続けて、ついに撮影ができたことも心に残っています。
長男が中学校1年生の3学期頃からはCOVID―19の感染が広がり、その影響で、しばらくは離れた場所でのトンボの調査がしにくくなりました。その一方で、赤坂御用地内の池の周辺を歩き、じっくりと観察し、調査に時間をかけることができました。トンボ類の生息環境について専門家にも意見を聴くことが増え、また赤坂御用地内の希少な植物に目を向けるようになりました。
思い返すと、長男は幼少のころから、虫探しや木登り、木の実・木の葉拾い、野菜作りなど、一年を通して屋外で過ごすことがよくありました。小学生になると、ものを作ることへの興味も増し、色紙で立体的な生き物や花を折ったり、大きくコピーした御用地内の地図の上に拾った木の実を置いて、種類と場所がわかる「どんぐりマップ(どんぐりさがし)」を作ったりしました。
さらに、LEDでなく電球の古いタイプの信号機を実際に見に行って模型を作り、昔の道具について図鑑で調べて粘土などで小さな道具を作るなど、工作に夢中になっていた時期もありました。宮内庁職員組合の文化祭に出した作品「昔の暮らし」は、家族5人で古民家の家屋と、畳や襖(ふすま)、囲炉裏などの内装、鍋釜や桶(おけ)などの道具類、庭の井戸や畑の作物、鶏小屋まで、それぞれが担当して協力して取り組んだ模型です。我が家の宝物のひとつとなっています。
暮らしの中で出会ったことや昆虫などを観察していたときの「あっ!」と思う気持ちから始まり、それが探究や創造へとつながっていく体験のひとコマひとコマが、いまの本人の成長へとつながり、支えているのだとつくづく感じています。
宮邸の水田の稲穂が色づいてきました。空を飛ぶ秋津(あきつ)(トンボの古名)を見かけることが多いこの時期に、今まで長男の成長を見守ってきてくださった方々に感謝の気持ちを抱きつつ、改めて私たち家族が長男とすごした時間にしみじみと思いをいたしております。
<最近の様子>
(中略)
京都では今年、「第27回国際昆虫学会議」が開催されました。私たちはその開会式に出席するために訪れましたが、長男はこの会議の組織委員会からの招待で行きました。
限られた時間ではありましたが、会議のテーマである“Consilience”(知の統合)にちなんで、複数の分野(保全学、進化形態学、民族昆虫学など)の人たちから昆虫食やトンボの研究などの話を聞く機会をもつことができました。また、並行して開催されていた昆虫の絵画展や写真展も観賞しました。そこでの出会いや交流から、さらに視野を広げていくことを期待しております。
<今後の進路をどう考え、サポートしたいか>
高校では、生徒たちが進路についての説明や、卒業生による進路・大学紹介を聞き、クラスで先生や友人と話す機会がありました。学年が上がる中で、自らの将来について考えを巡らせてきたようです。長男が好きなこと、学びたいことに取り組み、自分の興味を大事に持ち続けてほしいと願っています。学ぶ場所は、長男自身がしっかり考え、決めたことを尊重したいと思っております。
進路を自ら決めていく過程で迷い、悩むこともあるかと思います。必要なときに、これまで培ってきた力を発揮できるように、エールを送りたいと思います。
(後略)
内容のバランス的に、ユージン君のことを書きすぎでしょう。
ユージン君の新たなトンボ伝説を、母がしゃしゃり出てきて詳しく説明し始めた(爆)。
そういうのはAera永井さんか元木さんか江森さんの担当だと思っていました。
国際昆虫学会でユージン君がポスター発表したという重要な設定事項に触れずに通り過ぎた。「先生が先生の研究を発表をした」が事実であり、誰の目で見ても「ユージン君は発表しなかった」ことがバレちゃいましたからね。
「発表した」という動詞の主語は「先生」なのか「ユージン君」なのか、そもそも発表された研究は「先生の研究」なのか「ユージン君の研究」なのかで、意味が全然違ってくる。
科学する子供たちを応援するイベントにて、「先生の研究を先生が発表した」ことが、ユージン君の東大入学選考資料に流用されたとなったら、東大は清先生を採点したことになる。これは代理受験という不正行為と同じで、大変ですよ。剽窃騒ぎどころではなくなる。
「学ぶ場所は、長男自身がしっかり考え、決めたことを尊重したい」ということで、東大を選んだのは秋篠宮でも紀子妃でもなく本人だと、さりげなく釈明。
長期間引っ掻き回してユージン君と国民の間に摩擦の種をばらまいた挙げ句、面倒な責任を全て本人に押しつけ、キコは逃げた。どうせ親は先に死ぬのだし、知らんわとか思っているのか。テレビカメラの前で脚をパーンと叩かれたし(笑)。
全体的にマコケイ騒動のときと同じで、相変わらず独自路線をひたすら邁進する決意が表明されていた。
長文だったけど、夫への言及がありませんでした。気になるー(笑)。
東大入学発表の「発表の仕方」と「世論の反応」が楽しみです。
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