宮内庁長官という職務 政治家にモノ申せるか 成城大教授・森暢平
宮内庁長官という職務 政治家にモノ申せるか 成城大教授・森暢平
1/5(月) 16:35配信
サンデー毎日×週刊エコノミストOnline
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd944f846e26bf0635e170c579fd1fcb19a72c55
◇社会学的皇室ウォッチング!/178
宮内庁長官という職務は難しい。政府の一員でありながら、皇室を守るために、ときに政治家に対しての「盾」にならなければならない。長官が6年ぶりに交代したのを機に、その職責について考えてみたい。(一部敬称略)
宮内庁長官の西村泰彦(70)が昨年12月24日に退任し、次長である黒田武一郎(65)が新たに就任した。
警察官僚出身の西村が宮内庁次長に就任したのは2016年9月である。この年の夏、当時の天皇(平成の天皇陛下)の退位の意向が明らかになった。退位をめぐり、宮内庁と首相官邸との風通しが良くなかったこともあり、当時の首相安倍晋三が送り込んだ官邸主導人事と言われた。安倍政権は、中央省庁の事務次官らが集まる「次官連絡会議」に、西村を出席させるようにし、宮内庁と首相官邸との連携を密にする方策をとった。次長就任前まで西村は、内閣危機管理監であり、首相官邸の中枢にいた。
しかし、西村が、官邸に近い長官であったというわけではない。むしろ、西村が苦心したのは、秋篠宮家にあった眞子内親王(現在は小室眞子)の結婚をめぐる騒動だったように思える。世論は結婚に否定的で、皇室への信頼をどう回復するのか西村は苦労した。大きな一歩が、広報室の新設とSNSを利用した皇室広報の開始であろう。
一方で、秋篠宮から苦言を呈されたこともある。秋篠宮は24年11月の会見で、皇位継承をめぐる議論について、制度改変によって該当する皇族がどういう状況になるのか、どういう考えを持っているかということを、生活や仕事の面でサポートする宮内庁の然(しか)るべき人たちは理解しておく必要があるとの趣旨を述べた。宮内官僚はもっと皇族の意見を聞くべきだとの批判であった。想像をたくましくすれば、宮内庁長官に対し、政治に向かって皇室の立場をもっと主張してほしいと言っているようにも聞こえた。
これを受けてか、西村は、皇位継承議論が進まないことにしばしば意見を言っている。25年9月11日の記者会見では、皇族数の減少が進んでいることについて「我々としては大変危機感を持っている」との認識を示し、「国会における議論が進展することを望んでいる」と述べた。言葉を選びながらも政治の怠慢にモノ申している。
皇室典範改正を管轄するのは、内閣にある皇室典範改正準備室であって、宮内庁ではない。天皇や皇族は、政治的な発言はできない。それを代弁する形で宮内庁長官が、「皇室の意向」を明らかにすることも憚(はばか)られる。だから、なかなかインパクトのある言葉を発せられないというジレンマがある。
◇民主党首相に直訴 羽毛田長官の凄み
新しい長官の黒田は、旧自治省の出身である。広島市や熊本県での勤務経験もあり、地方自治や財政のエキスパートだ。2019年12月から2年半、総務事務次官を務めた。最初の9カ月間の総務相は高市早苗だった。黒田は、高市の信任が厚かったと言われる。また、皇室典範改正の実務を仕切る皇室制度連絡調整総括官、山崎重孝は自治省の1期後輩にあたる。皇室典範改正が行き詰まる現状のなか、政治家に皇室の立場を説明する立場にある。
近い過去を振り返れば、民主党・野田佳彦政権発足直後の11年10月、当時の宮内庁長官、羽毛田(はけた)信吾は官邸で野田と向き合い、皇室メンバー減少への対策が「火急の案件」だと直訴した。平成の天皇陛下の意向を受けた前侍従長、渡辺允(まこと)もその1年前、次のように発言していた。「悠仁さまが天皇になられるころには、典範の規定によって、女性皇族が結婚して皇室を離れられ、悠仁さまお一人だけ残られるということになりかねない。国と国民のためのご活動が十分になされなくなる恐れがあります。その事態を避けるために、私は、女性皇族に結婚後も皇族として残っていただき、悠仁さまを支えていただくようにする必要があると考えています。……皇位継承の問題は、次の世代に委ねることにして手をつけず、当面の措置だけをとるという考えです」(『週刊朝日』10年12月31日号)。
これらは、宮内庁長官、前侍従長としては、かなり思い切った行動・発言である。羽毛田と渡辺は、女性宮家創設が女系継承に繋(つな)がることを懸念する保守派の反発を受け、かなりの攻撃を受けた。
実は羽毛田は、民主党政権と激しく対立したことがある。09年12月、中国の国家副主席(当時)の習近平が来日する際、天皇との会見が、慣例を破ってセットされたことに対し、政権を強く批判したのである。天皇と外国要人との会見の申し入れは1カ月前までにという宮内庁と外務省の間のルールを曲げて、民主党政権が会見をゴリ押ししたためであった。民主党幹事長(当時)の小沢一郎は「天皇陛下の行為は内閣の助言と承認で行われるのが日本国憲法の理念」「内閣の一部局の一役人が内閣の方針についてどうこう言うのは憲法の理念、民主主義を理解していない」と批判した。しかし、政治家にモノ申す羽毛田の態度は毅然(きぜん)としていた。
◇初代長官田島は命がけの職務全う
前身の宮内府時代の1948年から5年半、長官を務めた田島道治(みちじ)(初代宮内庁長官)は、次のように長官としての覚悟を昭和天皇に説明している。「田島なども、最近極右の人からは引責をせまるなどといはれ、又投書で左の人からは(首相の)吉田(茂)に与(くみ)して勝手な事をすると脅かされまするが、田島は拝命と同時に引責は勿論死ぬるといふ事も覚悟は致して居ります」(『昭和天皇拝謁記』5巻、53年6月22日条)。
右にも、左にも、攻撃されながら、いつでも引責辞任するし、場合によっては命を懸けるとする壮絶な決意である。
皇室はいま、存続の危機にあると言ってもいいだろう。しかし、政治はいつまでも決断せず、先送りばかりである。そうした事態にあるからこそ、気概をもった宮内庁長官が必要であり、黒田にはその役割を期待したい。(以下次号)
■もり・ようへい
成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など
羽毛田さんは毅然としていたかなぁ?
小沢一郎から、天皇の面会相手を決めるのは内閣だと法律に明記されている。小役人の分際で引っ込んでろとどやされた途端、静まりかえっていた記憶しかない。そして、当時ナンバー3だった習近平とのイベントが予定通り執り行われた。
代々の宮内庁長官は政治に対し、言うべきことは言っているんではないですか?相手にされていないだけで。
今年は政治のイベントが多いから、皇室論議にならないでしょう。次々発生する懸案をこなすだけで精一杯。それらの審議を止めるわけにはいかない。
1/5(月) 16:35配信
サンデー毎日×週刊エコノミストOnline
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd944f846e26bf0635e170c579fd1fcb19a72c55
◇社会学的皇室ウォッチング!/178
宮内庁長官という職務は難しい。政府の一員でありながら、皇室を守るために、ときに政治家に対しての「盾」にならなければならない。長官が6年ぶりに交代したのを機に、その職責について考えてみたい。(一部敬称略)
宮内庁長官の西村泰彦(70)が昨年12月24日に退任し、次長である黒田武一郎(65)が新たに就任した。
警察官僚出身の西村が宮内庁次長に就任したのは2016年9月である。この年の夏、当時の天皇(平成の天皇陛下)の退位の意向が明らかになった。退位をめぐり、宮内庁と首相官邸との風通しが良くなかったこともあり、当時の首相安倍晋三が送り込んだ官邸主導人事と言われた。安倍政権は、中央省庁の事務次官らが集まる「次官連絡会議」に、西村を出席させるようにし、宮内庁と首相官邸との連携を密にする方策をとった。次長就任前まで西村は、内閣危機管理監であり、首相官邸の中枢にいた。
しかし、西村が、官邸に近い長官であったというわけではない。むしろ、西村が苦心したのは、秋篠宮家にあった眞子内親王(現在は小室眞子)の結婚をめぐる騒動だったように思える。世論は結婚に否定的で、皇室への信頼をどう回復するのか西村は苦労した。大きな一歩が、広報室の新設とSNSを利用した皇室広報の開始であろう。
一方で、秋篠宮から苦言を呈されたこともある。秋篠宮は24年11月の会見で、皇位継承をめぐる議論について、制度改変によって該当する皇族がどういう状況になるのか、どういう考えを持っているかということを、生活や仕事の面でサポートする宮内庁の然(しか)るべき人たちは理解しておく必要があるとの趣旨を述べた。宮内官僚はもっと皇族の意見を聞くべきだとの批判であった。想像をたくましくすれば、宮内庁長官に対し、政治に向かって皇室の立場をもっと主張してほしいと言っているようにも聞こえた。
これを受けてか、西村は、皇位継承議論が進まないことにしばしば意見を言っている。25年9月11日の記者会見では、皇族数の減少が進んでいることについて「我々としては大変危機感を持っている」との認識を示し、「国会における議論が進展することを望んでいる」と述べた。言葉を選びながらも政治の怠慢にモノ申している。
皇室典範改正を管轄するのは、内閣にある皇室典範改正準備室であって、宮内庁ではない。天皇や皇族は、政治的な発言はできない。それを代弁する形で宮内庁長官が、「皇室の意向」を明らかにすることも憚(はばか)られる。だから、なかなかインパクトのある言葉を発せられないというジレンマがある。
◇民主党首相に直訴 羽毛田長官の凄み
新しい長官の黒田は、旧自治省の出身である。広島市や熊本県での勤務経験もあり、地方自治や財政のエキスパートだ。2019年12月から2年半、総務事務次官を務めた。最初の9カ月間の総務相は高市早苗だった。黒田は、高市の信任が厚かったと言われる。また、皇室典範改正の実務を仕切る皇室制度連絡調整総括官、山崎重孝は自治省の1期後輩にあたる。皇室典範改正が行き詰まる現状のなか、政治家に皇室の立場を説明する立場にある。
近い過去を振り返れば、民主党・野田佳彦政権発足直後の11年10月、当時の宮内庁長官、羽毛田(はけた)信吾は官邸で野田と向き合い、皇室メンバー減少への対策が「火急の案件」だと直訴した。平成の天皇陛下の意向を受けた前侍従長、渡辺允(まこと)もその1年前、次のように発言していた。「悠仁さまが天皇になられるころには、典範の規定によって、女性皇族が結婚して皇室を離れられ、悠仁さまお一人だけ残られるということになりかねない。国と国民のためのご活動が十分になされなくなる恐れがあります。その事態を避けるために、私は、女性皇族に結婚後も皇族として残っていただき、悠仁さまを支えていただくようにする必要があると考えています。……皇位継承の問題は、次の世代に委ねることにして手をつけず、当面の措置だけをとるという考えです」(『週刊朝日』10年12月31日号)。
これらは、宮内庁長官、前侍従長としては、かなり思い切った行動・発言である。羽毛田と渡辺は、女性宮家創設が女系継承に繋(つな)がることを懸念する保守派の反発を受け、かなりの攻撃を受けた。
実は羽毛田は、民主党政権と激しく対立したことがある。09年12月、中国の国家副主席(当時)の習近平が来日する際、天皇との会見が、慣例を破ってセットされたことに対し、政権を強く批判したのである。天皇と外国要人との会見の申し入れは1カ月前までにという宮内庁と外務省の間のルールを曲げて、民主党政権が会見をゴリ押ししたためであった。民主党幹事長(当時)の小沢一郎は「天皇陛下の行為は内閣の助言と承認で行われるのが日本国憲法の理念」「内閣の一部局の一役人が内閣の方針についてどうこう言うのは憲法の理念、民主主義を理解していない」と批判した。しかし、政治家にモノ申す羽毛田の態度は毅然(きぜん)としていた。
◇初代長官田島は命がけの職務全う
前身の宮内府時代の1948年から5年半、長官を務めた田島道治(みちじ)(初代宮内庁長官)は、次のように長官としての覚悟を昭和天皇に説明している。「田島なども、最近極右の人からは引責をせまるなどといはれ、又投書で左の人からは(首相の)吉田(茂)に与(くみ)して勝手な事をすると脅かされまするが、田島は拝命と同時に引責は勿論死ぬるといふ事も覚悟は致して居ります」(『昭和天皇拝謁記』5巻、53年6月22日条)。
右にも、左にも、攻撃されながら、いつでも引責辞任するし、場合によっては命を懸けるとする壮絶な決意である。
皇室はいま、存続の危機にあると言ってもいいだろう。しかし、政治はいつまでも決断せず、先送りばかりである。そうした事態にあるからこそ、気概をもった宮内庁長官が必要であり、黒田にはその役割を期待したい。(以下次号)
■もり・ようへい
成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など
羽毛田さんは毅然としていたかなぁ?
小沢一郎から、天皇の面会相手を決めるのは内閣だと法律に明記されている。小役人の分際で引っ込んでろとどやされた途端、静まりかえっていた記憶しかない。そして、当時ナンバー3だった習近平とのイベントが予定通り執り行われた。
代々の宮内庁長官は政治に対し、言うべきことは言っているんではないですか?相手にされていないだけで。
今年は政治のイベントが多いから、皇室論議にならないでしょう。次々発生する懸案をこなすだけで精一杯。それらの審議を止めるわけにはいかない。
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